大嫌いな私〜私のモットー
2002年8月30日私とはなんと「ずぼら」なのだろう。
きっと細かいことが苦手なのだ。
手先が器用でないことは認めよう。
料理・片付け・裁縫も出来ない。しいて言えば日曜大工のほうが得意かもしれない。
しかし、切断した木材のサイズは必ずといっていいほどズレまくっている。
釘を打てば曲がる。突き出る。
考えることも苦手だ。
堂堂巡りはいつものことで。
だから、いくら考えたって、自分には答えを導く能力が無いのだと分かってしまっているから
考えるのを止めてしまう。
今度は何も考えなくなる。
少し間を空けて、また考え始める。
堂堂巡りを起こす。
またやめる。
「自分」とはなんと容量の少ない人間なのだろうか。
二日前になる。
中学の部活の面子で集まることになっていた。
今度ばかりは、計画に、手助けしてくれる人はなく。
何度投げ出そうとしたか。
どれほど、自分が何も出来ない人間だったか。
思い知らされた。
電話のコールが嫌い。
人に電話をかけるのが嫌い。
臆病な自分に気が付く。
そのときが、ちょうど不安定だったときだったことは認めよう。
{ときどきあるのだ}
何度も、思い知らされた。
中学のときだって何度も。
頼って・頼って・頼って
自分から問題を吹っ掛けたり、巻き起こしたりするのは得意なのだ。
しかし、あたしにはそれを解決しきる能力は無い。
容量も無い。
いつも、いつも、助けてもらうしかなくて。
そんなことを考えてしまえばまた、堂堂巡りなのだ。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
物事に深い意味はないと、あたしは考えている。
{他人がそうであるかはわからない}
例えば、右に曲がるか・左に曲がるか
本屋へ行くか・CDショップへ行くか
カーテンをかえてみたりとか
結局は「何気なく」「なんとなく」ということもあると思う。
有名な著者の全てが、壮大なイメージを持って、崇高な理想を持って作品を書いているとは思わない。
あたしだって、何かを書く。
「誰かがこれを読んだとき、何かを感じてくれればそれでいいなぁ」
と思って書く。
人間とはこうあるべきと書くのではなくて、
こうかもしれない、こんなのもあるよ。そういう風に書きたい。
だから国語の先生が、「この著者は、この作品を通して、こういうことを伝えたかったのです」と言うと。
おい、本当かそれは! 本人に聞いたのか?
もしかしたら本人は、「なんとなく」で書いたかもしれないぞ。
ただそんな話を書きたかっただけかもしれないぞ。
と思うわけです。
作品から何を感じ取るかなんて、人それぞれでいいじゃないか。
それがあたしのもっとー。
きっと細かいことが苦手なのだ。
手先が器用でないことは認めよう。
料理・片付け・裁縫も出来ない。しいて言えば日曜大工のほうが得意かもしれない。
しかし、切断した木材のサイズは必ずといっていいほどズレまくっている。
釘を打てば曲がる。突き出る。
考えることも苦手だ。
堂堂巡りはいつものことで。
だから、いくら考えたって、自分には答えを導く能力が無いのだと分かってしまっているから
考えるのを止めてしまう。
今度は何も考えなくなる。
少し間を空けて、また考え始める。
堂堂巡りを起こす。
またやめる。
「自分」とはなんと容量の少ない人間なのだろうか。
二日前になる。
中学の部活の面子で集まることになっていた。
今度ばかりは、計画に、手助けしてくれる人はなく。
何度投げ出そうとしたか。
どれほど、自分が何も出来ない人間だったか。
思い知らされた。
電話のコールが嫌い。
人に電話をかけるのが嫌い。
臆病な自分に気が付く。
そのときが、ちょうど不安定だったときだったことは認めよう。
{ときどきあるのだ}
何度も、思い知らされた。
中学のときだって何度も。
頼って・頼って・頼って
自分から問題を吹っ掛けたり、巻き起こしたりするのは得意なのだ。
しかし、あたしにはそれを解決しきる能力は無い。
容量も無い。
いつも、いつも、助けてもらうしかなくて。
そんなことを考えてしまえばまた、堂堂巡りなのだ。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
物事に深い意味はないと、あたしは考えている。
{他人がそうであるかはわからない}
例えば、右に曲がるか・左に曲がるか
本屋へ行くか・CDショップへ行くか
カーテンをかえてみたりとか
結局は「何気なく」「なんとなく」ということもあると思う。
有名な著者の全てが、壮大なイメージを持って、崇高な理想を持って作品を書いているとは思わない。
あたしだって、何かを書く。
「誰かがこれを読んだとき、何かを感じてくれればそれでいいなぁ」
と思って書く。
人間とはこうあるべきと書くのではなくて、
こうかもしれない、こんなのもあるよ。そういう風に書きたい。
だから国語の先生が、「この著者は、この作品を通して、こういうことを伝えたかったのです」と言うと。
おい、本当かそれは! 本人に聞いたのか?
もしかしたら本人は、「なんとなく」で書いたかもしれないぞ。
ただそんな話を書きたかっただけかもしれないぞ。
と思うわけです。
作品から何を感じ取るかなんて、人それぞれでいいじゃないか。
それがあたしのもっとー。
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